2019/03/23の話:【トポロジー】単体の向きと鎖

質問箱において,次のような質問がありました.

Q『トポロジーにおける質問です.有向単体$\ck{a\f 0,a\f 1}$ の境界は $\ck{a\f 1}-\ck{a\f 0}$であると本には書いてあるのですが,$0$-単体の向きは唯一つ$\ck{a\f 0}$ であると考える,とも書いてあるので「$\ck{a\f 0}$ は結局のところ$-\ck{a\f 0}$と同じだから境界は$\ck{a\f 1}+\ck{a\f 0}$と書ける」と思うのですが,この考えは間違ってるでしょうか.』

結論だけから言うと $ \ck{a\f 0}\neq -\ck{a\f 0}$ です.大雑把に説明すると「 $ \ck{a\f 0} $ の向きを一つとする」は単体としての向きの話であり,「 $ \ck{a\f 0} $ と $ -\ck{a\f 0} $ 」は鎖(チェイン)の演算の話です.

以下に詳細な説明をしました.

■ 一点単体の向きは一つだけか?

単体の向きについては、いろいろと勘違いしやすいところもあると思います.単体の向きの定義は、文献によって異なることもありますが、質問の内容から推察して回答します.

まず、ユークリッド空間内の $ n+1 $ 点 $ a\f 0,\ldots ,a\f n $ の凸包として得られる $ n $ 次元単体を
\begin{eqnarray}
\ck{a\f 0,\ldots ,a\f n}
\end{eqnarray}
と書きます.ただし、単にこの記号が「 $ a\f i $ たちで張られる $ n $ -単体」を表しているだけなら、例えば
\begin{eqnarray}
\ck{a\f 0,a\f 1}\quad と\quad \ck{a\f 1,a\f 0}
\end{eqnarray}
は同じものを表すことになります.

そこで、この括弧付きの記号は単なる $ n $ -単体を表すものではないことにします. $ a\f i $ たちを書く順番によって区別するのです.具体的には
\begin{eqnarray}
\ck{a,b,c,\ldots ,d}
\end{eqnarray}
に現れる記号 $ a,b,c,\ldots ,d $ の順序を偶置換して得られるものは、もとの単体と「同じ向きである」という関係を定めます(注:まだ「向き」そのものは定義されていない.「ある単体と同じ向き」という言葉が定義されているだけです).このように $ a\f i $ たちの順番にも注目して区別された単体を「有向単体」と呼ぶことにします.

例えば、2つの点から得られる有向1-単体
\begin{eqnarray}
\ck{a\f 1,a\f 0}
\end{eqnarray}
は $ \ck{a\f 0,a\f 1} $ を偶置換することによって得られないため、これらは先程の定義に従うと同じ向きではありません.任意の $ n $ -単体( $ n\geq 1 $ )に対して、「同じ向き」という関係によって、 $ a\f 0,\ldots ,a\f n $ から得られる $ n $ -単体たちは、次のように二種類に分けられます.
\begin{eqnarray}
\ck{a\f 0,a\f 1,a\f 2,\ldots ,a\f n}と同じ向きを持った有向単体\kg
\ck{a\f 1,a\f 0,a\f 2,\ldots ,a\f n}と同じ向きを持った有向単体
\end{eqnarray}
片方のチームに属する単体に対して、もう一方に属する単体を「逆向きの単体」と表現することもあります.

(注意1) この時点まで、単体の間の「同じ向き」という概念は定義されていますが、「向き」そのものは数学的には定義されていません.例えば $ \ck{a\f 0,a\f 1,a\f 2} $ と $ \ck{a\f 1,a\f 2,a\f 0} $ は同じ向きであるといえますが、「 $ \ck{a\f 0,a\f 1,a\f 2} $ の向きは何ですか?」と聞かれたら答えに窮します(「右向き」とか「半時計回り」などは数学的な定義ではない).そこで、正確には「同じ向き」という同値関係による $ \ck{a\f 0,a\f 1,a\f 2} $ の同値類のことを「 $ \ck{a\f 0,a\f 1,a\f 2} $ の向き」と定義することがあります.

(注意2) この段階で、 $ \ck{a\f 0,a\f 1} $ と逆向きの単体を $ -\ck{a\f 0,a\f 1} $ と表記することはまだできません.なぜなら、単体同士の演算をまだ定義していないからです.マイナス記号は代数的には $ + $ 演算における逆元を表すものであり、次のステップで $ + $ 演算を定義しなければ意味を成しません.

さて、このような定義により、1つの単体に必ず2つの向きが定義されるという考え方は $ n $ が $ 1 $ 以上のときにできるものであり、 $ 0 $ -単体については同じようにはできません.

もちろん $ 0 $ -単体だけを特別扱いし、「 $ 0 $ -単体には向きと呼べるものは一つしか与えられない」とすることもできます.質問にあったテキストはこの流儀なのでしょう.

この他には、「 $ 0 $ -単体の向きは存在しない」とする方法もあるかと思います.

この辺りの、 $ 0 $ -単体に対する向きの取り決めの違いは、後の議論には大きく影響は及ぼしません.なぜなら、ホモロジー論などで重要なのは単体そのものではなく、単体から構成される「鎖(チェイン)」だからです.

■ 鎖

単体的ホモロジーを定義する前段階として「鎖」というものが登場しますが、これが初見だと少し分かりにくいものだと思います.

単体が寄せ集まって構成された図形(空間)を単体複体と呼びますが、単体複体 $ K $ の「 $ n $ -鎖」とは、 $ K $ を構成する $ n $ -単体たちに和が定義されたものです.例えば2つの $ K $ の $ n $ -単体 $ \alpha,\beta $ に対して
\begin{eqnarray}
\alpha+\beta,\quad とか,\quad 3\alpha
\end{eqnarray}

のようなものが意味を成す存在となります.

この $ n $ -鎖の意味において、ある $ n $ -鎖 $ \alpha$ に対し $ -\alpha $ が
\begin{eqnarray}
\alpha +(-\alpha )=0
\end{eqnarray}

を満たすようなものとして定義されます.すなわち代数的には $ -\gamma $ は $ + $ の逆元を意味するというだけであり、これにどんな意味を与えるのかは人間に委ねられます.

一つの単体 $ \gamma $ から作られる鎖を同じ記号で $\gamma$ と書くとき, $-\gamma$ は「 $ n $ -鎖の意味で」 $ \gamma $ の逆向きを表すものと解釈することができます.いや、むしろこのマイナスのことを「逆」と呼ぶことにしたと言う方がしっくり来るかもしれません.

先ほど $ \ck{a\f 0,a\f 1} $ は $ \ck{a\f 1,a\f 0} $ の逆向きの単体でしたが、これは「単体の意味で」のものです.単体の時点では $ +,- $ というものは定義されていませんでした.

$ n $ -鎖になって初めて $ + $ や $ – $ という記号を使うことができるようになったのです.例えば単体(正確には鎖というべき) $ \gamma=\ck{a\f 0,a\f 1} $ の鎖の意味での逆向きを意味するものは
\begin{eqnarray}
-\gamma =-\ck{a\f 0,a\f 1}
\end{eqnarray}
です.マイナスがついたら鎖の意味での「逆」ですが、これを単体の意味と同一視し、
\begin{eqnarray}
\ck{a\f 1,a\f 0}=-\ck{a\f 0,a\f 1}
\end{eqnarray}
のように $ \ck{a\f 1,a\f 0} $ に鎖としての意味を持たせてしまうことがよくあります.むろん、このような規定(単体的な「逆」を鎖的な「逆(マイナス)」とする規定)をせずに議論を進めるテキストも存在します(少数派だとは思いますが、HatcherのAlgebraic Topologyなどはそうでした).このような規定をすることによって(数学的厳密性は置いといて)、その後の記述はたびたび簡単になります.

さて、この鎖という考え方においては、 $ 0 $ -単体は特別なものではなくなっています.任意の鎖 $ \gamma $ は $ -\gamma $ という逆向きを意味する鎖を持ちます.それは $ \ck{a\f 0} $ においても同じことで、 $ \ck{a\f 0} $ の鎖としての逆を意味するものは
\begin{eqnarray}
-\ck{a\f 0}
\end{eqnarray}
になります.よってこの意味において、一点からなる「鎖」には2つの向き(と呼べるもの)が存在することがわかります.もちろん$\ck{a\f 0}\neq -\ck{a\f 0}$です.

■ 鎖の生まれ

「鎖」は単体そのものによって生成される $ \integ $ -加群として定義されるものですが、この考え方はどこから生じてきたのでしょうか?

非常に大雑把に言えば、ホモロジーの考え方は、複素解析における線積分などに端を発します.複素関数 $ f(z) $ の線積分は $ \com $ 上の曲線 $ \gamma $ に沿って行われており、2つの曲線を結合した $ \alpha+\beta $ や、逆向きを意味する $ -\gamma $ に対しては
\begin{eqnarray}
\int\f{\alpha+\beta}f(z)dz=\int\f\alpha f(z)dz+\int\f\beta f(z)dz
\kg
\int\f{-\gamma}f(z)dz&=&-\int\f\gamma f(z)dz
\end{eqnarray}
が成り立ちます(ここでいう曲線は「単体」ではなく、実数パラメーターによって定義されたものであることに注意してください).

この曲線 $ \alpha+\beta $ や $ -\gamma $ はパラメーターによって厳密に定義されるものであり、 $ \alpha $ の始点と $ \beta $ の終点が一致しているときにのみ $ \alpha+\beta $ という記号が意味を持ちます.そうじゃないような2つの曲線 $ \alpha,\beta $ に対しては、パラメーターを使って $ \alpha+\beta $ を定義することができなくなってしまうのです.

このような $ + $ 演算を曲線に定義することによって、複素関数の線積分の記述は簡明になり、様々な定理の記述を可能にします.

しかし、複素積分の話を進めていくと奇妙なことがわかってきます.当初、曲線の演算結果は一つの「繋がった曲線」にならなければなりませんでした.そうでなければ $ \alpha+\beta $ のようなものを連続したパラメーターで表示できないからです.しかし複素関数の理論は、 $ \alpha+\beta $ が繋がった曲線であることを要求していなかったのです.

どういうことかというと、つまり $ \alpha $ と $ \beta $ が離れた曲線であったとしても、 $ \alpha+\beta $ というものが
\begin{eqnarray}
\int\f{\alpha+\beta}f(z)dz&=&\int\f\alpha f(z)dz+\int\f\beta f(z)dz
\end{eqnarray}
を成り立たせる存在でありさえすれば、複素関数の理論はまったく同様に進行することが分かってきたのです.「 $ \alpha+\beta $ というものがひとつながりの曲線である必要性」は数学的には一切要求されていませんでした.

結局、複素積分論の本質は「曲線をパラメーターによって表示する」ことには無かったのです.そこで発想の転換が行われます.曲線という概念を拡張し、別の幾何的対象物に取り替えて、より広い複素線積分論を構築しようとしたのです.

そのような一般的な複素線積分論において要求されることの一つは、先ほど言ったように、2つの曲線 $ \alpha+\beta $ が離れた位置にあったとしても、それらを結合した $ \alpha+\beta $ が意味を持たなければならないこと.加えて $ \alpha+\alpha $ のようなものも意味を持たなければなりません.曲線をパラメーターで表していたときには、 $ \alpha+\alpha $ というものは曲線として扱うことすら不可能でした.

このような考え方を可能にするものこそ、「鎖」です.鎖の考え方は、曲線概念を拡張したものになっています.鎖は $ \com $ 上の曲線を集めてきて、
\begin{eqnarray}
3\alpha+4\beta+5\gamma\quad (\alpha,\beta,\gamma:曲線)
\end{eqnarray}
のように、曲線そのものに整数の係数をつけ、それらを $ + $ でつなげたものの集まりです.この時点では曲線にむりやり $ + $ 記号を付加したものでしかありませんが、このような $ + $ でつながれた記号に
\begin{eqnarray}
\int\f{\alpha+\beta}f(z)dz=\int\f\alpha f(z)dz+\int\f\beta f(z)\kg
\int\f{3\alpha}f(z)dz=3\int\f{\alpha}f(z)dz
\end{eqnarray}
などを満たすものであるという意味を付け加えたのです.つまり、 $ \alpha+\beta $ が具体的に何か、ということには言及せず、
\begin{eqnarray}
\int\f{\alpha+\beta}=\int\f\alpha +\int\f\beta
\end{eqnarray}
を満たす存在として鎖を定義したのです.この鎖によって複素関数論は堅苦しい曲線の言葉から解放されます.そしてホモトピー(連続変形)の言葉によって定式化されていた理論は、新しく「ホモロジー」によって書き換えられることになります(ホモトピーは「解析接続」の理論において活躍するものだと分かってきました).

上記の鎖は曲線から生成されるようなものになっていますが,これら微積分を駆使して土台となる空間の形状を調べようとする目的の上では扱いにくいものです.そこで,単体は「鎖」の理論を,曲線よりも抽象的に,そしてより単純に構築するための「土台」としての役割を持つこととなりました.

「向き」という概念は、曲線がパラメーターで表示されていたときには「一切の紛れなく」定義されるものでした.しかしホモロジーの理論はパラメーターを使った話からは完全に切り離されているため、「向き」の概念が抽象的になり、 $ \ck{a\f 0,a\f 1} $ の点を書く順序がそれを表すものになっていると解釈されたのです.単体としての「点の向き」を明確にする必要は、線積分の観点から見てもあまりないことになります(結局は流儀の問題になる).重要なのはあくまで「鎖」の中で、単体に定められた演算やマイナスが、線積分などの概念と整合性が取れることなのです.

注意:「鎖」の理論の土台に何を採用するかによって、そこから定義されるホモロジーは変わってきます.「単体からの単射」を土台にしたものは単体複体のホモロジーと呼ばれますし、セルを土台にすればセル複体のホモロジーになります.また「単体からの連続写像」を土台にすれば特異ホモロジーと呼ばれたり、それぞれ種類があります.それを調べてみるのもおもしろいかと思います.

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