2019/03/05の話:0除算ができないということの意味と理由

実数や複素数などの世界では $0$ 除算をすることができません。仮に可能であるとすると,何かしらの矛盾が発生してしまいます.しかし,複素解析などでは,$ \com $ に無限遠点を付け加えた拡張複素平面 $\widehat\com$ において非零な複素数 $\alpha$ に対する $0$ 除算を定義することができます.しかし $\widehat\com$ では $\com$ の持っていた代数的な性質をいくつか犠牲にしています.そうすることによって $\infty=1/0$ といった数を数学的に扱えるようにしているのです.しかし$\widehat\com$においても, $0/0$ などは依然定義することができません.

では,すべての $0$ 除算が可能な数の体系というものは考えられないのでしょうか?それに対する答えの一つが,【輪】と呼ばれる代数系です.

まず, $0$ 除算ができないとはどういうことか,それを知るためには $0$ の意味からしる必要があります.

■ $0$ の意味

私たちが普通に扱う数の世界では、 $ 0 $ はいろいろな性質を満たしています。たとえば、
\begin{eqnarray}
a+0=a\kg
a\cdot 0=0\kg
0/a=0
\end{eqnarray}
などです。 $ 0 $ という数が存在するような数の体系としては整数・有理数・実数・複素数などが挙げられますし、自然数にも $ 0 $ を含めることがあります。
 いま、整数などを『数の集合』ではなく『数の体系』であると表現しましたが,実はこれらは単なる集合以上の意味を持っています。そのことを理解するために、まずは次の集合を考えてみましょう。
\begin{eqnarray}
Z=\jb{0,-1,1,-2,2,-3,3,\ldots }
\end{eqnarray}
集合というのはものの集まりを表す概念であって、それ以上でもそれ以下でもありません。この $ Z $ という集合は、このように書いただけでは単なる記号の集まりでしかなく、その要素たちには何の役割も与えられていないのです。例えば、 $ Z $ の要素を使って次の式を計算しようとしたとします。
\begin{eqnarray}
1+0+(-2)
\end{eqnarray}
しかし、この式には何の意味もありません。なぜなら $ + $ 記号とは何か、その定義が与えられていないからです。さらには $ 0,1 $ という記号の役割も決まっていません。集合の各要素に役割を与えるためには、 $ +,0,1 $ などの記号に意味を持たせなければいけないのです。

■ 環とは $ +,\cdot,0,1$ に意味が与えられたものである

 代数を習い始めると、環という言葉を頻繁に目にするようになります。環は加法・乗法といった演算の意味が定められた数の体系を表すものです。 $ \integ,\ratio,\rea,\com $ などはすべてこの環に属するものと見ることができます。では環とはどのようなものなのか説明してみます。

まず土台となる集合 $A$ が与えられているとします。
\begin{eqnarray}
A=\braces{p,q,r,s,\ldots }
\end{eqnarray}
この集合の各記号にはまだ何の意味も与えられていません。ここで $ p+q $ や $ p\cdot q $ という式が意味を持つようにするために、 $ T $ と $ K $ という2つの二項演算(2つの $ A $ の要素に1つの $ A $ の要素を対応させる写像)を用意し、そして
\begin{eqnarray}
“p+q”&\define &T(p,q)\\
“p\cdot q”&\define & K(p,q)
\end{eqnarray}
というように、これらの式に意味を与えます。こうすることによって、単なる記号列でしかなかった $ p+q $ に、 $ T(p,q) $ という意味を持たせることができます。これによって $ (A,+,\cdot) $ は $ + $ と $ \cdot $ に演算としての意味が与えられた集合になります。例えば
\begin{eqnarray}
p+(q+r)&=&T(p,T(q,r))\\
p\cdot (q+r)&=&K(p,T(q,r))
\end{eqnarray}
のように、あらかじめ作った写像 $ K,T $ を使って計算をすることができます。しかし、この時点では、これら $ +,\cdot $ というものは、足し算、かけ算を表すものとしてふさわしいものになっているとは限りません。例えば
\begin{eqnarray}
p+(q+r)=T(p,T(q,r))=T(T(p,q),r)=(p+q)+r
\end{eqnarray}
が成り立つとは限りませんし、
\begin{eqnarray}
p\cdot (q+r)=K(p,T(q,r))=T(K(p,q),K(p,r))=(p\cdot q)+(p\cdot r)
\end{eqnarray}
も成り立つとは限りません。さらには $ p+q=q+p $ もそうです。つまり $ +,\cdot $ に『これらは写像である』という数学的意味を与えることができていても、それ以上の意味が与えられていません。これでは $ (A,+,\cdot) $ は到底『数の体系』と言うことはできません。そこで、これらの記号 $ +,\cdot $ にどのような条件を付加すれば $ (A,+,\cdot ) $ が『数の体系』と呼べるに足るのか、現代数学では次のような条件が与えられています。

【$ + $ 記号の条件(二項演算 $ T $ の条件)】

(a) すべての $a,b,c\in R$ に対して $ a+(b+c)=(a+b)+c $

(b) すべての $a,b\in R$ に対して $ a+b=b+a $

(c) すべての$a\in R$ に対して次を成り立たせるような $b\in R$ が存在している:$ a+b=b+a=0 $

【$ \cdot $ 記号の条件(二項演算 $ K $ の条件)】

(d) すべての $a,b,c\in R$ に対して $ a\cdot (b\cdot c)=(a\cdot b)\cdot c $

【$ + $ と $\cdot $ の条件( $ T,K $ の条件)】

(e) すべての $a,b,c\in R$ に対して $ a\cdot (b+c)=(a\cdot b)+(a\cdot c) $

(f) すべての $a,b,c\in R$ に対して $ (a+b)\cdot c=(a\cdot c)+(b\cdot c) $

【特別な要素の存在条件( $ A $ の条件)】

(g) 以下の条件を満たす特別な要素 $ \vare\in A $ が存在する:すべての $a\in R$ に対して $ a+\vare =\vare +a=a $.この $\vare$ を記号で $0$ と書き,加法単位元と呼ぶ.

(h) 以下の条件を満たす特別な要素 $ \kappa\in A $ が存在する:すべての $a\in R$に対して $ a\cdot \kappa=\kappa\cdot a=a $.この $\kappa$ を記号で $1$ と書き,乗法単位元と呼ぶ.

これらの条件を満たすことによって $ (A,+,\cdot) $ は『環』と呼ばれる数の体系になります。これを見ると、 $ a\cdot b=b\cdot a $ などの条件はありません。かけ算の交換は成り立たなくても環というものにはなっているのです。 $a\cdot b=b\cdot a$ という条件も含めると【可換環】というものになります。環の例は実数や複素数の他にもたくさんあります。

(例)行列環:あるサイズの正方行列の成す集合に $+$ と行列乗法 $\cdot$ の演算を付け加えたもの.$a\cdot b=b\cdot a$ が一般に成り立たない環の例である.

さて、 $ (A,+,\cdot) $ が環となる為の条件を見てみると,この環の中では $ 0 $ という要素は、 $ + $ という演算を施しても、値を変えないようなものとしての役割を与えられています。同様に $ 1 $ は、 $ \cdot $ を施しても、値を変えないようなものです。環の文脈において、 $ 0 $ や $ 1 $ はこれ以上の意味はないわけです。ですから,$0$ や $1$ が関与する事柄の証明には,これ以上の事実を用いてはいけないわけです.

■ 環の世界では0除算ができない

 では $ 0 $ 除算ができないとはどういうことでしょうか? 環の文脈で考えてみましょう。そもそも環には加法と乗法しか定められておらず、減法や除法といった演算が定められていません。これらの演算は『逆元』の言葉に置き換えられます。 $ + $ 記号が満たすべき条件を見てみると、このようなものがあります。

任意の要素 $ a\in A $ に対して、次を満たす要素 $ b\in A $ が存在する。
\begin{eqnarray}
a+b=b+a=0
\end{eqnarray}

この $ b\in A $ は、 $ a $ と足し算をすると $ 0 $ となってしまうようなものです。つまり、 $ A $ のすべての要素 $ a $ には加法に対して、その逆を意味するようなものが存在します。それを一般的に $ -a $ という記号を使って表現し、 $ a $ の加法逆元と言います。同様に、環の条件にはありませんが、もしある $ a\in A $ に対して
\begin{eqnarray}
a\cdot b=b\cdot a=1
\end{eqnarray}
となるような $ b $ が存在したとすると、この $ b $ を $ a $ の乗法逆元と呼び、 $ a\inv $ と表現します。
 このような加法や乗法に対する逆元を使うと、減法・除法は次のように定めることができます。
\begin{eqnarray}
“a-b” &\define &a+(-b)\\
“a\div b”&\define & a\cdot b\inv
\end{eqnarray}
一般に環は、すべての要素 $ a $ が乗法の逆元 $ a\inv $ を持つとは限りません。つまり $ b\in A $ の乗法逆元が存在しないとき、 $ a\div b=a\cdot b\inv $ という演算は不可能であることになります。これを「 $b$ 除算が不可能である」とでも言いましょう.
 では 0 除算を考えてみましょう。 $ 0 $ 除算ができないと言うことは、言い換えると $ 0 $ の乗法逆元が存在しないということです。では、どんな環においても0除算はできないのでしょうか? 実際にそれを検証してみましょう。まず、任意の環 $ (A,+,\cdot) $ において、次のことが成り立ちます。
\begin{eqnarray}
\forall a\in R\ [ a\cdot 0=0 ]
\end{eqnarray}
再確認しますが、ここでいう $ 0 $ は
\begin{eqnarray}
\forall x\in A\; [x+0=0+x=x]
\end{eqnarray}
を満たすものであり、それ以上でもそれ以下でもありません。よって $ a\cdot 0=0 $ を示すとき、 $ 0 $ に対して使ってもいい条件はこれだけです。では示してみましょう。 $ 0 $ の定義から $ 0 = 0+0 $ です。これと分配法則を組み合わせることによって
\begin{eqnarray}
a\cdot 0&=&a\cdot (0+0)\\
&=&(a\cdot 0)+(a\cdot 0)
\end{eqnarray}
となります。ここで、 $ A $ の任意の要素には必ず加法逆元が存在しますから、 特に $ (a\cdot 0) $ の加法逆元 $ -(a\cdot 0) $ が存在します。これを両辺に施すことで、
\begin{eqnarray}
(a\cdot 0)+(-(a\cdot 0))&=&(a\cdot 0)+(a\cdot 0)+(-(a\cdot 0))\\
0&=&(a\cdot 0)+0\\
0&=&a\cdot 0
\end{eqnarray}
となります。ちなみに $ a+b+c $ という式は正確には $ (a+b)+c $ もしくは $ a+(b+c) $ を表しています。環の定義からこれら2つは一致しているため、 $ a+b+c $ と書いても紛れが起こらないのです。さて、以上で $ a\cdot 0=0 $ を環の条件だけから示すことができました。 $ 0\cdot a=0 $ も全く同様に示せます。
 次に、もし環 $ (A,+,\cdot) $ において、 $ 0 $ 除算が可能、つまり $ 0 $ の乗法逆元が存在したどうなるか考えてみましょう。まず、 $ a $ の乗法逆元の定義は
\begin{eqnarray}
a\cdot b=b\cdot a=1
\end{eqnarray}
を満たすような $ b\in A $ のことでした。したがって、 $ 0 $ の乗法逆元が存在するということは
\begin{eqnarray}
\vare\cdot 0=0\cdot\vare=1
\end{eqnarray}
を成り立たせる $ \vare\in A $ が存在することであると言い換えられます。しかし上で証明したとおり、 $ (A,+,\cdot) $ が環である以上、必ず $ \vare\cdot 0=0 $ が成立してしまいます。よって、 $ 0 $ の乗法逆元 $ \vare $ が存在したとすると、
\begin{eqnarray}
\vare\cdot 0=0\cdot\vare =0
\end{eqnarray}

\begin{eqnarray}
\vare\cdot 0=0\cdot\vare =1
\end{eqnarray}
が同時に成り立つことになります。すなわち $ 0=1 $ でなければなりません。このような環は存在しません。と言いたいところですが、 $ 0=1 $ が本当にどんな環でも成り立たないのか調べる必要があります。 $ (A,+,\cdot) $ を $ 0=1 $ が成り立つ環としましょう。すると、任意の要素 $ a\in A $ に対して、 $ 0=1 $ であることから、
\begin{eqnarray}
a\cdot 0&=&a\cdot 1\\
0&=&a
\end{eqnarray}
が成り立ち、従って $ a=0 $ となってしまいます。このことから、 $ 0=1 $ を成り立たせるような環は、 $ A=\jb 0 $ でなければならないことがわかります。これを自明環、もしくは零環と呼びます。この環は $ 0 $ しか要素がないという寂しい環です。結局,非自明な環では $0$ 除算は常に不可能であるということになります.

 以上が、環という数の体系の中で $ 0 $ 除算ができない理由となります。 $ 0 $ の乗法逆元が存在しなければ、もしくはより一般に環 $ (A,+,\cdot) $ の要素 $ a\in A $ の乗法逆元が存在しなければ、 $ a $ による除法は定義できないことになります。

しかし、以上はあくまで環という特別な体系に関しての話です。もちろん環は人間が普通に扱う【数】に近いものになっており、これを一般に【数の体系】と呼びたくなる気持ちもあります。しかし、この環が数体系と呼べることの数学的な理由は全くありません。言い換えれば、環だけが数学的に重要な位置を占めているとは限らないのです。例えば環は乗法に関して
\begin{eqnarray}
a\cdot (b\cdot c)=(a\cdot b)\cdot c
\end{eqnarray}
という結合法則が成り立つことを要請していました。これを満たしていない体系なんて数とは呼びたくない、と考えるのは人間としては自然な考え方です。しかし、これを条件から排除した【非結合的環】というものも考えることができます。例えば有名なところでは、7つの虚数単位を持った【八元数】というものがあります。この体系では乗法の結合法則は満たさず、代わりに
\begin{eqnarray}
a\cdot (a\cdot b)&=&(a\cdot a)\cdot b\\
(a\cdot b)\cdot b&=&a\cdot (b\cdot b)
\end{eqnarray}
しか成り立たちません。しかし八元数はベクトルを幾何的に扱える空間としての意味とその加法・乗法・除法の演算を持った代数としての意味をもち、それらがお互いに両立しあっている【ノルム多元体】になっています。このように環の性質の中で、数として当たり前と思えるような条件を排除しても、数学的に有意義な体系ができる可能性は十分あり得るわけです。

次→【2019/03/06の話:0除算が可能な体系 $\winteg$ 】

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